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約30年ぶりの小林多喜二

 きょう、多摩市内で開催された映画「時代(とき)を撃て 多喜二」の上映会に参加しました。
終わりの方の拷問で殺される小林多喜二…・・・瀕死の状態で戻ってくる多喜二に同じ署内にいる友人、政治犯たちが「こーばーやーしーっ!」と呼びかけるシーン、母親のセキさんが、死んだ多喜二に呼びかけるシーンでは、30年前の今井正監督の映画「小林多喜二」のシーンもよみがえって案の定、涙があふれてしまいました。
 そして、ちょうど31年前、日本共産党に入党したときを思い出しました。入党したいとは思っていたものの、多喜二の小説「1928年3月15日」や「党生活者」などを読んでいて、いざというときに、そういう状況で、自分ががんばれるかどうか、さかんに自問自答していました。「精一杯、自分がやれることをやるしかない」と思って入党しましたが……。
 それにしても、映画の中で、多喜二の小樽の家の隣に住んでいたと言う女性も語っていましたが、小林多喜二たち政治犯を、拷問したり、その結果、死に至らしめた特高などの実行犯も、それを指示した者たちも、治安維持法をつくった者たちも、死刑法にまで改悪する勅令を出した昭和天皇も、だれひとり罪に問われていないというのは、いったい、どういうことでしょうか? ドイツでは、ナチスは徹底的にその罪を追及されました。最近でも、スペインで90歳を超えるものまで逮捕されるというようなことが報道されています。このあたりのあいまいさが、アジア諸国にも不信感をもたれる原因だと思います。
 
by kenchan-koba | 2005-10-21 22:23


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